渋谷の鉄道は周辺環境や利用者の変化と共にある

通勤や通学はもちろんのこと、時代が進むにつれ若者が集まる街となり交通機関も発展してきました

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多様な用途に応えてきた渋谷の鉄道

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渋谷駅と鉄道事情

春、3月とうとうあの東急東横線ができて、渋谷駅が利用されなくなりました。
昭和45年春に大学進学とともに東京へ出て来た私にとって一番思い出の駅でもあったのです。
当初、東横線日吉にアパートを借りたとき、学校への毎日通学に使っていた路線の一つでした。
お茶の水駅までの毎日は、渋谷駅での乗り換えから始まります。
とても混雑している山手線は乗るとともに身体は宙に浮いた感じになってしまい、
押されると押されっぱなしの状態でした。

そんな渋谷の道玄坂、その途中にジローと言う若者が集まる喫茶店がありました。
そこからNHK方面に向かい原宿まで歩いたものでした。
その頃はお金もなくデート代もあまり使うことが出来ない時代でもあったのです。

またこの頃は、東急文化会館で古い外国映画を観にいったことを覚えています。
確か2本で100円とか150円とかだったような気がします。
そんな時代の渋谷駅は、今から考えると相当簡単な駅だったと思います。
東横線と山の手線、そして3階には何故か地下鉄銀座線があり、更に道路を渡って井の頭線の4駅の
パターンでした。

これだけでも非常に便利な駅と思っていたのですが、だんだんと駅も変わって行ったのでした。
昭和52年、田園都市線の開通で「にこたま」まで行くことが非常に楽になったこと覚えています。
自由が丘乗換えでいつも不便だったところが、一挙に便利な路線に早変りして、
衝撃的な出来事だったのを覚えています。

そして現代になると渋谷の街も段々と様変わりしてきます。
時代の流れと共に駅周辺の環境もかわり、鉄道を利用する人の流れもかわってきました。
この流れに乗って渋谷駅やその他の駅もかわらなくてはならなくなりました。
一番問題視されていたのは渋谷駅の地上を走る踏み切りです。
この踏み切りは開かずの間とされていて、30分は軽く閉じたままになっているので通勤や通学に
支障がでてしまうのです。
そこで渋谷駅は路線を地下に作ることでこれらの踏切をなくしたのです。
更に翌年には、地下鉄半蔵門線の開通で、田園都市線が更に先へ行くことになったのです。

そして便利なようで使い道が限定されている湘南新宿ラインの開通は、埼玉県から都心へ向かう人に
喜ばれる線の開通でした。
旧貨物線を使うことで開通したこの線、渋谷駅など乗り換えに不便なこともあり、
早く旧東横線駅への移動が望まれてもいるのでした。
本来なら現在の渋谷駅を完全に改革することで、整備した方が良いと言う意見もあったようです。
そんなことで、地下5階まで遠くなった東横線です。
始発駅でなくなり、夜帰る時に座って帰ることが出来なくなってしまいました。